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「トゥキディデスの罠」か「チェンバレンの罠」か? [雑感]

6月は、英語論文を一本仕上げつつ、非常に緊張感のある場で報告の機会を頂きました。

米中関係とアメリカの戦略、と題した報告では、冒頭に、5月末に出版された(英語)グラム・アリソン氏の新著に触れ、アメリカ外交における対中宥和の考えについて検討しています。トゥキディデスの罠を述べたアリソンは、中国の朝鮮半島での協力等と引き替えに、在韓米軍撤退や日韓へのMD供与見直し、南シナ海での立場見直しなど、さまざまに「ご提案」されています。

レジメは以下のように始めました。

1. 「トゥキディデスの罠」か「チェンバレンの罠」か? A) 激しい論争:G.アリソンへのA.ウォルドロンの批判 B) 宥和的措置への誘惑: J.スタインバーグ&オハンロン『戦略的再保障』、C.カプチャン『どのように敵国は友好国になるのか』 C) 歴史の教訓?:D.アチソンの失敗 D) ティラーソン発言:「一つの中国政策と今後の50年」 E) リアリストなど代表的知識人の「合理的な解」としての宥和と寛容さ?


アメリカには過去70年以上、中国を取り込めるのではないか、中国を変えられるのではないか、それが安上がりな政策ではないか、そうしなければ危険ではないか、といった議論が時に現れてきました。

それを提唱するのは、国務長官であったり、代表的な国際政治学者であったり。いずれにせよ、突拍子もない考えとして現れるのではなく、とびきりの知的エリートたちです。

中国に関心を持ったのは、初期には宣教師のこどもたちでした。最近に宥和的な発言をするものには中国専門家やビジネス利益がつながっている者も多いです。しかし、それよりも、最高学府と政権の頂点にいる、中国にさして知識もないものたちが宥和主義に陥る、その方がインパクトも大きいものです。

現象としては大変興味深いところはあります。インド政策にも、「誰しもインドに恋をする、しかし決して得られないものだ」という教訓があると言われますが、中国政策には趣は違いますが、何かがあるようです。前者はある種のオリエンタリズムの香りがしますが、中国に関してはプラグマティズムの香りもあるような気がしてはいます。

報告ではその後、冷戦期からオバマにいたるまでの論争、政策を簡単に振り返り、最後に以下のレジメにあるようにまとめました。(一部省略しています)

5.トランプに戦略はあるか? 中国的思考・レトリックへの巻き込まれ/ 相互に(相手の行動に)シェープされるという認識を持つことは日本のリスク / 米中和解の破綻はあるか、または「アメリカが中国を選ぶ日」が来るのか / 底流にある対中宥和主義 リアリズムによる正当化


米中関係は、今少し温度が冷めてきてはいますが、それでもかなり温かいのは事実。なにより、底流に流れる宥和志向は、政権(ティラーソンが一つの中国政策を今後50年維持するか見直しをしているとの発言)だけでなく、アメリカの知的コミュニティにも増えかねないことに更なる注意が必要だと思います。

それは、日本を取り巻くアジア秩序の根本的な変容を招く、アジアにとっての「チェンバレンの罠」*かもしれません。

追記:米中閣僚対話後、どうも米中にはすきま風という雰囲気が流れているようです。ただ、これが交渉レバレッジをあげるためのアメリカの策略なのか、仲違いの始まりなのかは不明です。他方で、中国からすれば、長期的にトランプ政権と上手くやれる可能性が高いとの確信は持てないため、早めに成果を固めるというアプローチはありそうです。次のハードルは人権問題、G20、そして米中首脳会談からの100日の期限です。

※ミュンヘン会談におけるチェンバレンの評価については当時の文脈でも理解すべきであり、チャーチル的史観を私が持っているわけではありません。一般的な比喩として、ウォルドロン氏が採用したものを援用しています。